日光東照宮 陽明門の秘密!公開日2017年ついに40年ぶりの平成大修理完了!【パワースポット】

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2017年3月10日、世界遺産・日光東照宮の国宝「陽明門」が約40年ぶりの大修理を終え、ついに!!色彩鮮やかによみがえった至宝が一般公開されるのです!

40年ぶりに大改修された、日光東照宮陽明門の秘密をシェアしていきます!

追記:2017年3月20日に修復後の陽明門の取材が出来ました!写真も追加しています。

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日光東照宮の陽明門とは?

日光東照宮の中で一番のメインである門は、なんといっても国宝にも指定されている「陽明門ようめいもん)」です!

高さは11.1mの2層造りで、正面の長さは7m、奥行きが4.4mあります。

正面の唐破風下(屋根の下)には、後陽成天皇より送られた「東照大権現(徳川家康の死後の別名)」の額が掲げられています。

明治維新まで、庶民はくぐることが許されず、陽明門の前に土下座をして東照宮を拝んだのだそうです。

極彩色の見事な彫刻にはさまざまな想像上の動物もいます。

よく似た麒麟(きりん)と竜馬の見分け方は、麒麟は1角で牙を持っている、竜馬は2角で牙がないのが特徴です。

陽明門の歴史

そもそも『日光東照宮』は、家康の遺言によって建てられました。

家康が駿府城で死去した際、一周忌が過ぎた後日光山に小さな堂を建てて祀るようにとの遺言を遺したのです。

やがて、二代将軍・秀忠がこの遺言に従い日光に質素な最初の東照宮を造営。

この時、『陽明門』は朱色を基調としたごく普通の門だったのです。」

ところが、秀忠造営から20年後、三代将軍となった家光は、家康21回忌にあたる寛永13年の竣工にむけて『陽明門』を含む東照宮の大改造工事を命じました・・・

家光の命で絢爛豪華な門を演出したのは、作事方大棟梁・甲良豊後守宗廣(こうら むねひろ)と、絵画を担当した狩野探幽(かのう たんゆう)です。

江戸城天守閣を手掛けた名棟梁と天才絵師、この2人の手により『陽明門』は史上空前の豪華絢爛な門へと生まれ変わりました。

甲良豊後守宗廣は江戸城天守閣や芝増上寺を手掛けた棟梁、狩野探幽は狩野一門を率いる当代一の画家、

しかし家光直々の命令であり、失敗すれば切腹となる覚悟でつくられました・・・

なんと!!延べ47万人、2000億円相当がつぎ込まれています!!

陽明門(表の麒麟の彫刻)

東照大権現の額の両脇に緑と青の麒麟が施されています。

出展:logs.yahoo.co.jp

陽明門(表の龍と息の彫刻)

龍と息はよく似ているようですが
下段の大きく口を開けた息はヒゲがなく、ブタのように上唇に鼻孔がついています。
息の読み方が「いき」か「そく」かは不明ということのようですよ!

出展:http://blogs.yahoo.co.jp

陽明門(裏の龍(上)と息(中)と龍馬(下)と鳳凰(右下に金色の羽と脚が見える)の彫刻)

出展:http://blogs.yahoo.co.jp

そんな『陽明門』には、霊獣や伝説上の動物たちの他に、もう1つ重要な彫刻があります。

孟子や孔子といった古代中国の名だたる聖人・君主たちをかたどった人物彫刻です。

出展:jinja-tera-gosyuin-meguri.com

上記の写真は修復前の陽明門の写真です。

それまで、人物彫刻が社寺建築の装飾に用いられることはなかったようです。

しかもそれだけではなく、探幽は従来の常識を大きく超え子どもたちが無邪気に遊ぶ姿をかたどった中国の「唐子遊び」のモチーフをも彫りこんでいるのです。

何故、探幽はこのような大胆な試みに挑んだのか?

なぜ家光は大改造を命じたのか?

そこには、家光のある思いが込められていたと言われています。

子供が安心して遊べる世界を造るという徳川家の目的であり、その為に戦争の無い国を造る。

世界平和のモニュメントであったと伝えられています。

家光は諸国の大名に日光東照宮参拝を促し、東照大権現として神になった家康の威光と同様、そのメッセージを伝えようとしたのです。

下記の写真は2017年2月22日撮影のものです!

ほぼ修復は完成しておりました!

 

この陽明門は508体の彫刻で埋め尽くされおり、そのうち人物の彫刻は156体・・・!!

これらの彫刻は、狩野探幽の作品に数多く登場することから、陽明門のデザインに関しての総指揮は、狩野探幽が単独で一任されていたと云われております。

日暮の門と言われている理由とは?

豪華絢爛な門である陽明門は一日中見ていても決して飽きないことから、別名「日暮し門」とも呼ばれ、日本で最も美しい門の一つとされています。

「日暮し門」と呼称されている理由は・・・

  • 「豪華春蘭」という言葉が当てはまるので圧倒されてしまう!
  • 造りが細かく、一日中眺めていても確かに飽きがこない!
  • 四面の軒唐破風をはじめとし、単純な造りの門ではなく、世界中探しても唯一無地である!

ようするに「いくら見てても飽きない」と言ったことが由来となるようです。

この門の前で「日が暮れるまで見てても飽きない」と言ったのは徳川家光公であると言われています。

その言葉が端を発し、後の世で「日暮し門」と呼称されるに至ったとの伝説があります!

まだ白いヴェールに包まれていました!こんな陽明門のお姿も見れないので、ある意味レアです!

神社に行くと、社殿の中に随身像を左右で2体見かけますよね!

日光東照宮にも随身像が安置されており、この陽明門で見ることができます。

随身とは、平安時代の武装した格好の人形になります。

通常は「左大臣」と「右大臣(矢大臣)」と呼称されます。

まだ設置されていませんでした!

日光東照宮の陽明門の修復とは?

2017年3月10日、世界遺産・日光東照宮の国宝「陽明門」が約40年ぶりの大修理を終え、ついに!!色彩鮮やかによみがえった至宝が一般公開されるのです!

陽明門の修理は日光東照宮の「平成の大修理」の目玉として、2013年から行われておりました。

陽明門は2018年3月31日まで大修理中の予定だったのですが・・・かなり早く公開の運びになったようですよ~

それもそのはず・・・東照宮では「平成の大修理 第1期第2次事業(平成25〜30年度)」を実施していまして、その一環として、2013年7月8日より約6年間の予定で国宝・陽明門の修理を行っていたのです!

3年8ヶ月と7日間・・・かなり急ピッチで修復が進められていたことが伺えますね~

専門技術者約30人が携わり、江戸時代から受け継がれる伝統技術を駆使し、全面に施された500体を超える極彩色の彫刻や純白の瑚粉塗りの柱、黒漆塗りの屋根などを蘇らせています!

もうピカピカです!

「見ざる・聞かざる・言わざる」で有名な三猿の彫刻も2017年3月に修復が完了する予定で、日光東照宮の目玉となる建造物が新たな姿で公開されるのはこの先100年はないと言われています。

⇒見ざる聞かざる言わざるの三猿の悪事意味とは?もう一匹いた4匹目の猿伝説??

「平成の大修理」を終え、新たな姿に蘇ったる世界に誇る日光の社寺をぜひご覧に、いらっしゃってください!

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追記:2017年3月20日に日光東照宮の陽明門を訪れることが出来ました!

その時の写真です!

たくさんの外国人がいらっしゃっていましたよ~

絢爛豪華でした~

陽明門の天井には・・・

通常は「左大臣」と「右大臣(矢大臣)」も設置されていました!

日光東照宮の陽明門の秘密!

200年ぶりの東西の幻の壁画の秘密!

平成の大修理の進む日光東照宮陽明門の東西の壁画が一般公開中されていました。

東西にある壁画は、1752年に描かれ、劣化が激しかったために寛政時代の1796年にそれぞれ、彫刻を施した羽目板で覆われたそうです。

今回、今年7月に初めて羽目板が外された200年ぶりのお目見えの鶴や松が描かれた西側の桐油(とうゆ)蒔絵と、約40年前の「昭和の大修理」で確認されたキンカチョウや梅を題材とした東側壁画も、合わせて公開されたのです!

大修理終了後、壁面の上に羽目板が取り付けられると、次の修理の50年後まで見ることができないので、大変貴重です。

こちらの記事の「東照宮の陽明門とは?」のところに写真をシェアしています!

⇒東武線でお出かけ日光東照宮のパワースポット!究極のゼロ磁場!日帰りでも行けちゃう?!

陽明門が最強パワースポットの秘密!

この日光東照宮は、南光坊天海(なんこうぼうてんかい)の総指揮のもとに造営されていますが、天海が徳川幕府の陰陽師としての側面も持ち併せていたことはあまり知られていません。

天海は東照宮の造営の際、「龍脈の力」がもっとも強い場所を選んで造営の設計をしています。

なお、ここで言う「龍脈」とは「山間」や「地脈」のことを指し、すなわち後世で言うところの「風水」の意味合いがあります。

陽明門が建っている場所は、龍脈からの「気」がもっとも多く集まる「龍穴」と言われており、つまりは龍穴の真上に陽明門が建っていることになるのです!

唐銅鳥居の前あたり、鳥居の中に陽明門がすっぽり入って見える位置がパワースポットです。

絶好の写真撮影スポット!

出展:https://retrip.jp/

陽明門と北極星、家康との秘密!

他にも、まだ陽明門の謎があり、この陽明門から本殿まで直線で結ぶと、なんと!本殿の真後ろに「北極星」が来るのが有名です!

「北極星」とは、高天原の主であり、「天帝」を意味し、高天原の天帝とは「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」を意味するようです。

古代中国では北極星を「太一(たいいつ)」と呼称し、これは万物の母をも意味し、すべての理の中心として考えられていました。

伊勢地方や古来の神宮では、天照大御神を「太一」と呼称したようです。

一説では東照権現(徳川家康)を「東の天照大御神=『東照』」に例え、天照大御神と同列に拝するように設計されているとも?!

尚、この説に諸説あり、他にも以下のような説があります・・・

家康公が生まれた三河(愛知県東部)には「鳳来寺(ほうらいじ)」と呼称される寺院があり、家康公の母親は元気な子を授かるために、この寺院の本尊である薬師如来に篤く祈願したそうです。

その後、無事に家康公が生まれ、家康公が大成し江戸幕府と言う新たな世を創造したことから

家康公を「薬師如来の生まれ変わり」だとする信仰が生まれ、一説では「東に照る(東方薬師瑠璃光)如来が権りに現れた神=東照大権現」とも云われています。

家康は駿河の駿府城で死去した後、近くの久能山東照宮に埋納され、その後遺言に従って日光に移されます。

ではなぜ日光の地が選ばれたのか、それも幾つかの説があります。

駿河(静岡)の久能山東照宮と富士山を結ぶ線の延長と(北東方面へ)、江戸から北へ結ぶ線とが、日光付近で交わります。

日本の象徴である富士山を結ぶ線と、江戸から北を結ぶ線が交わる意味を日光は秘めているのです。

北を目指す線、その先には聖なる北極星があり、これと家康を結びつけることで神格化するとの意味もあるようです。

ここまでお読み頂きありがとうございます!

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